【映画の魅力800字】北野武『ソナチネ』について
ヤクザの夏休みとその終わり。
北野武監督『ソナチネ』を端的に伝えるならば、私はこう表現するだろう。
暴力、血、男たちーー。いわゆる北野映画の代名詞以上に、一人の男の危うさへと心奪われた。
組長命令で沖縄の友好組織のもとへ飛んだ幹部・村川(ビートたけし)。だがそれは村川らを排除したい幹部の差金だった。抗争の末、生き残った村川と子分たちは海辺の廃屋に身を潜めて穏やかな時を過ごす。しかしそれも束の間。刻一刻と迫る追手、死んでいく仲間たち。やがて一人になった村川はライフルを下げ、幹部の集まるホテルへと向かう。
海、花、月、血と赤青の対比が美しく、表現を削ぎ落としたスタイルは一層それを強調する。沈黙には死の匂いすら漂わせた。
節々に出てくる幼稚な遊びもその香りに拍車をかける。トントン相撲に落とし穴、フリスビーを楽しむ姿は到底ヤクザとは思えない。かと思えば銃を取り出し、こめかみに当てロシアンルーレットを始める。終始剥がれない笑顔は繕われたものではなく、生を諦めたような静けさが滲んでいた。
「もうヤクザやめたくなったな」
「なんかもう疲れたよ」
村川は以前そう呟いた。子どもみたく無邪気な姿は笑えるが現実はヤクザ。残酷なコメディである。
ドンパチやるくせして孤独が残るのはラストシーンのせいだろうか。
暗転したホテルに乗り込み、発砲の光だけが窓の外へ溢れる。全てを終えた村川は自分を待つ女の元へ帰らなかった。女からちょうど見えない位置で、今度は弾の入った拳銃を当て自殺する。女と笑い合った道で、迷いなく。青い車に散る血飛沫の赤はやはり美しかった。
「あんまり死ぬの恐がると、死にたくなっちゃうんだよ」
照れくさそうに笑った村川を思い出す。ヤクザでありながら怖がりの子どものような男だった。
ソナチネとは短い練習曲。
「映画人としてひとつのステップを超えられた」
監督北野武は本作をこう語った。現在へ続く北野映画の転機ともなる一作。
(800字)
※ 感想を決められた文字数で書きたい! と始めた個人の感想です。読んでくださった方、ありがとうございます。
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